百万の言の葉

あまりモノ語るなと、今日はアドバイスを受けた。
うーん、そうかぁ。
僕はね、確かにおしゃべりだから。
何と言うかな、わからんでも分かってしまえと怒濤のような言葉の洪水。
でもねぇ。
そか、かしこかってんかなぁ。昔の仲間は。
どんな早口で、どんなに飛びまくっても、きちんとどうどうと応射があった。
うーん。
ま、去年の末から、僕は塩野先生のエッセイを学んで、講演にできるだけ資料を使わない、PPTも使わない。
基本は語りで、つっかえつっかえでもいい。
立板に水を流すように、では、人は面白がっても、実は分かってないんだ、と言う事が分かった。
だから、つっかえつっかえでいい。多少不親切でも、なんの資料も絵も示さない方が、人は想像力をかき立てられる。
そ、講演だけではなく、普段の会話。と言うか私は意見するわけだけど。全部全部を言わない。分かるまで言いくるめるような事はしない、で行こうと思う。
今日、まーつあんとamonの意見を受け止め、この伝で行ってみよう。
言葉少なく。
でも、ね。百万の言の葉を10の言葉にして。
濃いよ。
それを、分かってもらわなくちゃ。

華麗なる一族、ゥってか

かなちゃんがもう、楽しみにしていた新しいテレビドラマ「華麗なる一族」。山崎豊子原作ですね。
はいはい。
偶然と昨晩(暦の上では一昨晩か)はうちにいたんで(うちに偶然いた、ってのも変だけど)、見させてもらいましたぜ。

ま、正直言って、これはあかん、です。
かつて1974年、昭和49年に初ドラマ化された時と今の時代との時代の違いを考えて欲しい。
正直言って、華麗でも何でもない。今の時代から見るとね。
昭和49年という、高度成長期からオイルショックへの、まだまだ日本という国の屋台骨の定まらぬ時代、一億総中流とか何とか言いながらやっと庶民が小金を持つようになって、だからこそホントのお金持ちの生活に憧れた頃。
まだオードリーに夢を託せた頃の日本人にとって、この万俵一族の様子は度肝を抜かれたのかも知れない。
あるいは、石原兄弟の太陽族、あるいは加山雄三の湘南族。
銀幕の中だけの夢の世界のようなものだったかもしれない。
しかし、今の庶民にとって、携帯もPCも電子レンジもないこの時代を、「華麗」などとは思えないのだ。
いっそ戦前や、あるいは江戸時代ならいいのだが、同じ時代の連なるせいぜいが昭和後半となると、Alwaysのヒットにみられる庶民それ自体の思い出の涙腺に訴えるもでもないと、いくら昭和ブームとは言えこんな作り物にはおよそついて行けない。